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コロッセオ

Twitterのタイムラインを見ると、先輩が「誰かHUB行かないか」と呟いていた。いつもの僕なら電光石火で馳せ参じるところだがあいにく講義、涙を飲んで5限へ出席する。

講義時間も残りわずかになり暇を持て余してタイムラインをシュパシュパ更新していると、HUB名物タワーカクテルの写真が目に入る。「強そう」「酔ォた」など知能の低いツイート群を目の当たりにし行かなくて良かったと安堵するもつかの間、いきなりLINEが飛んで来た。

「部室いる?飲み終わったから部室行きたい」

ダメすぎる。とりあえず講義中なので待ってくださいと言い残し、講義が終わると同時にそそくさと教室を後にする。「開けましたよ」と連絡して10分ほど待つと、ES提出3枚の先輩と6年生の先輩が連れ立って入って来た。まさかこの面々で飲んでいたとはそのダメさは想像を上回っている。僕が呆れている間に、なぜか先輩は巨大なカステラを鷲掴みにしていた。

「何これ何これ」

「……カステラですね」

四畳半神話大系じゃん(爆笑)」

いうが早いが先輩はカステラをちぎって口に放り込む。6年生の方の先輩もカステラを頬張り始めたので、くそう僕だって好機を掴みてぇ、僕のコロッセオはここだとわけのわからないことをわめきながらカステラを次々と口の中に詰め込んだ。

好機どころかまごうことなき敗残者たちの光景である。

花見

「昼から酒を飲みてえ」と先輩がひとりごちていた。デキる後輩たる僕は何としても先輩の期待に応えるべきであると察し、花見の余りの赤霧島を携えて先輩を迎えるべく大学近くの公園へと向かったのである。

 

桜の花が散り始めており大変風流な雰囲気を醸している中、僕は読み進めている途中の『論理哲学論考』を開く。栞がわりにしているのはユーゴの紙幣。最悪か。

 

しばらくすると先輩がやって来た。

「何読んでるの」

ウィトゲンシュタインです」

「ダメだよ、死んじゃうよ」

なんとも解像度の低い忠告だ。

「逆に死んじゃわない本って何がありますか」

「……絵本しか思いつかねえ」

「絵本だって死に至るものは多いですよ」

などと雑な言葉を交わし赤霧島を飲む。思い思いに発泡酒を開け、しばらく春の風に吹かれ輪郭を曖昧にしていた。

そのまま曖昧になっていると、先輩が本を開いているのに気づく。

「何読んでるんですか」

罪と罰

懐かしい。僕も高校時代は授業をサボってのどかな公園でドストエフスキーを読むやつをやっていた。

「今更だけど読んでみるか〜ってね」

「公園で読むのがたまらなく良いですね」

などと言葉を交わし、なあなあで解散した。

花見酒は良いものです。

シェアハウス神話大系

 無性に文章を書きたくて仕方がない。森見にかぶれたと思うのが嫌だが明らかにかぶれているのだろう、自分を客観的にみているだけマシだと思うことにしてそのまんまなタイトルをつけてみた。午後までにしなければいけない仕事から逃げて駄文を書き連ねている場合ではないのだが、精神的感傷マゾの僕は自己管理ができない自分を嘲笑うことで若干ながら自己愛を満たすことができてしまうためどうにも自虐中毒なのである。

破滅への道なり。

 

 少し前のこと、いつものように卓を囲んで同居人と酒(酒ではない)を飲み交わしていた時のことである。発泡酒を嗜む同居人Aが何やら不穏な視線で僕が握るストロングゼロを見つめたのち、驚くべき発言をした。

「熱燗にしたら、それ」

鬼殺しをガブ飲みしていた同居人Bも煽る。

「そういえばストロングゼロの熱燗って聞かないね、面白そう」

当たり前だ。ストロングゼロの熱燗って何ですかという理性の抗議も虚しく、僕はいささか気が大きくなっており異常な実行力を示していたため、いいですねめっちゃ面白そうなどと言いながら電気ケトルにドボドボとストロングゼロダブルレモンを注ぎ、スイッチをオンしてしまったのである。

 湯気から異様な芳香が漂う。明らかに飲み物が出す香りではない。どちらかと言えば保健室や理科室で嗅いだことのある感じのやつだ。部屋中に芳香が広がったあたりで僕はコップにストロングゼロの熱燗(って何?)をなみなみと注ぎ、ひと口飲んでみた。驚くほどまずい。当たり前だ。はちみつレモンに消毒用アルコールをぶち込んだような不自然な味がする。同居人Bは「子供の頃カゼひいた時に飲んだ味だ!意外と美味しいかも」などとわけ分からないことを言っていたが、普通に病院などの記憶とはちみつレモンの記憶が混ざっているのだろう。同居人Bに全てを託し、頭がほんわかしていた僕は早々に撤退し眠りについた。

 

何というオチのない話であろうか。でもも何もなく、いささかどころでもなく見るに耐えない日常の一コマであった。

予め失われた薔薇色のキャンパスライフ

 大学生を殺す本として有名な『四畳半神話大系』を読んでいる。まだセーフだろと思っていたが、今の僕には充分致死量だったようであり悶え苦しみながら読み進めている。結局明石さんとちんちんかもかもするのが許せないところだが、充分いろいろとひどい目にあっているようなので大目に見てあげてもいいのかもしれない。

 小津の像が非常に基底現実の先輩とかぶる。とにかく言ってることが大体同じな気がする。こんな先輩と懇意になってしまったからこそ、僕のキャンパスライフも惨憺たるものになってしまったのだろうか。ああ、新聞サークルなぞに入らず何か音楽にふれるなどしてみても良かったのかもしれない。神よ……などと言ったところで無駄なものは無駄。ひょっとしたら遠い世界、あるいはすぐ隣の世界でも僕はサークルの先輩の部屋に入り浸りながら他人の下半身の話を肴に酒を飲んで感情を五倍にしているのではないだろうか。

 そんなことを思いながら顔を上げるとそこは薄汚いシェアハウスの六畳間である。神話というよりは民話のような荒削りな珍事がそれなりに起こっているのだが、僕をシャキッとさせるにはもう少し何かがあっても良いのではないだろうか?そんなことを思える身分にはないほど仕事と慚愧が積み上がり目の前に立ちはだかっているのだが、現実から目を背けたくなるのは人の性、仕方がない。「なにか面白いこと起きないかな」と素で言ってしまうつまらない大学生に成り下がってしまった自分を呪うばかりである。

 

なんでこんな自意識をぶちまけているのかといえば、大学の新入生たちと出会ってしまったからだ。彼らの持つ可能性と、一年という時が過ぎる速さとをこの身に思い切り受けてしまった。とかく自己愛を裏返した自虐癖というのは不治の病であろう。

 

人生

 高校時代の友人たちと話していたおり、「お前って他人の感情に興味がないよな」と指摘された。まったくもってその通りで、僕は要するに自己中心的な人間なのだろう。目の前で人が怒ったり泣いたりしても、そのふるまいには反応するけれど感情を推し量ってどうにかするとかそう言ったことに力を割いたりはあんまりしてない。それに認知がゆるゆるなので、そもそも何らかのふるまいに対する適切な対応もできてないと思う。全部ダメじゃん。

 そんな僕でももちろん自分には感情があるし、感傷的な方でもある。感情に興味がないというのも日常的なそれに対してであって、「人生」を感じると不意に涙が出てきてしまう。例えば映画「この世界の片隅に」を観たときは元恋人を差し置いて号泣してドン引きされたし、レポートの課題のため多摩全生園に行った時も歩いていたら不意に泣けてきて涙が止まらなかった。今は親戚の誘いで復興支援のボランティアとして宮城県にいる。塩害で立ち枯れになった林や、かつては家や倉庫が建っていたであろう更地は、陳腐な言い方ながら未だに3.11の爪痕が残ったままで、今踏んでいる石のかけらは現地の人が暮らしていた「住まい」だったモノなのかもしれない、などと思うと悲しくてやりきれない。

 僕自身は「左翼を騙るニヒリスト気取り」を自認しているんだけど、やはりなぜか「人生」には何か尊いものがあると心の底で確信しているし、他人のそれが存在していることも認めているのだと思う。何が言いたいかよくわからない文になってしまった。

ブログはいつまで続くかチャレンジ

 文章を書くということと、何かを継続するということがたまらなく苦手な僕にとって、まさにブログというのは最も不向きな営みなのではないだろうか。そんなことを常々思うけれども、Twitterのフォロワーが書いたブログを読むと、僕もこんな風に長文で自意識を開陳したいな、などと思ったりするわけだ。

 年始に毎日続けると決意したはずの日記は、日付が変わるまで酒を飲む生活を続けていたら2月に入る前に更新されることはなくなった。見返してみたら元交際相手とのことが書いてあったのでそのページだけ破って捨てた。日記帳にしていたノートはもったいないので転用してまだ使っている。リングノートでよかった。

 そんな僕がはたしてブログなんか続けられるのか。そもそもこんなものを書いている暇があったらレポートの1本でも仕上げるとか新書の1冊でも読むとかした方が有益ではないのか、などと疑問は尽きないけれども、とにかくやると決めたので最低でも週に1回は更新しようと頑張ってみる。ネタなんてどこにでも転がっているだろう。去年のこの時期書いたブログは確か学業とか色々頑張りたいとか書いてあった気がする。1年後の僕よ。年間取得単位は19単位だぞ。来年もこのペースだと退学もありうるから気をつけておけ。

  くだらない前置きをしていたらそもそも何が書きたかったのか忘れてしまった。何かとてつもなく唐突に長文を書きたくなったからわざわざはてなIDまで作ったはずなんだけど、完全に覚えていない。まぁそのうち思い出すと思うので、その時記事にすれば良いか、などと考えている。