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人生

 高校時代の友人たちと話していたおり、「お前って他人の感情に興味がないよな」と指摘された。まったくもってその通りで、僕は要するに自己中心的な人間なのだろう。目の前で人が怒ったり泣いたりしても、そのふるまいには反応するけれど感情を推し量ってどうにかするとかそう言ったことに力を割いたりはあんまりしてない。それに認知がゆるゆるなので、そもそも何らかのふるまいに対する適切な対応もできてないと思う。全部ダメじゃん。

 そんな僕でももちろん自分には感情があるし、感傷的な方でもある。感情に興味がないというのも日常的なそれに対してであって、「人生」を感じると不意に涙が出てきてしまう。例えば映画「この世界の片隅に」を観たときは元恋人を差し置いて号泣してドン引きされたし、レポートの課題のため多摩全生園に行った時も歩いていたら不意に泣けてきて涙が止まらなかった。今は親戚の誘いで復興支援のボランティアとして宮城県にいる。塩害で立ち枯れになった林や、かつては家や倉庫が建っていたであろう更地は、陳腐な言い方ながら未だに3.11の爪痕が残ったままで、今踏んでいる石のかけらは現地の人が暮らしていた「住まい」だったモノなのかもしれない、などと思うと悲しくてやりきれない。

 僕自身は「左翼を騙るニヒリスト気取り」を自認しているんだけど、やはりなぜか「人生」には何か尊いものがあると心の底で確信しているし、他人のそれが存在していることも認めているのだと思う。何が言いたいかよくわからない文になってしまった。